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アリヨこと有吉須美人氏。「シカゴブルースの殿堂」入り。(2017/10/15)

最終更新: 2019年8月16日

ビリー・ブランチ&サンズ・オブ・ブルースのピアニストとして長年シカゴで活動してきたアリヨ氏、堂々の殿堂入り。


”ボス”、ビリー・ブランチから賞状を受け取ったアリヨ氏。


 2017年10月15日、シカゴ市内のブルースライブハウス、バディガイズ・レジェンズにて「2017年シカゴ・ブルースの殿堂(Chicago Blues Hall of Fame」伝達・表彰式が行われた。今年で5回目。毎年、シカゴのブルースシーンに貢献したミュージシャンや団体に贈られる栄誉あるこの賞を、有吉氏は日本人(東洋人)として初めて受賞した。


 アリヨ氏が最初にシカゴに渡ったのは1983年。Jimmy Rogers Blues Band に加入して全米~カナダをツアー、1987年には「シカゴ・ブルース・フェスティバル」に東洋人として初めて出演するなど着実にキャリアを積んでいった。1988年、Otis Rush ヨーロッパ公演参加後に帰国。憂歌団、ウエストロード・ブルース・バンド、近藤房之助、上田正樹、甲本ヒロトらとセッションを重ね、2000年に再渡米。ハーモニカのビリー・ブランチのリーダーバンド、Billy Branch & the Sons of Bluesに加入し活躍の場を一層広げ、今ではビリーのみならず他バンドやミュージシャンとのレコーディングセッションにも引っ張りだこの、押しも押されぬシカゴを代表するピアニストに上り詰めた。


 アリヨ氏が満を持して受賞を果たした「2017年度シカゴ・ブルースの殿堂」に同じく名を連ねたのは、左に見ての通り。エディー・C・キャンベル、カール・ウェザーズビー、シュガー・ブルー、カルロス・ジョンソン、エディー・テイラー・Jr.、リル・エド、キャサリン・デイヴィス、ヴァンス・ケリー、フェルトン・クルーズなど、名手・ベテランが揃う。


 受賞式当日、会場入り口は華やかに着飾ったアフリカ系アメリカ人であふれかえり、まるで日曜日の教会のようだった。長きにわたってブルースに身を捧げ貢献してきた受賞者のみならず、彼らを陰で支えた家族にとってもこの日は特別な日になったに違いない。


ホストを務めたマイク・ウィーラー・バンド(Mike Wheeler Band)



ステージ下では受賞者がお互いを称え合い、和やかに歓談していた。


(右から)アリヨ、Mose Rutues Jr. (ビリー・ブランチのバンドで長きにわたりドラマーを務め、一昨年引退)、エディー・テイラー・Jr.、デミトリア・テイラー。





カルロス・ジョンソン(右)とラルフ・キンジー( ザ・キンゼイ・リポート )

受賞者たちがステージにあがり、豪華絢爛なジャムセッションで締めくくる。



ブルース文化への深い憧憬


「83年に初めてシカゴの地を踏み、その夏B.L.U.E.S.on Halsted でカンザスシティ・レッドに雇われたのを皮切りに、ジミー・ロジャース、ローザス・ラウンジのトニー・マンジウロ、ロバートJr・ロックウッド、オーティス・ラッシュ、ヴァレリー・ウェリントンらのお世話になって、今はこのボス、ビリー・ブランチ&SOBで演奏しています。この場で言いたいことはひとつだけです。


黒人でもなく、ましてやアメリカ人でもない、遠い東洋からの若者だった私を、シカゴブルースのフィールドの奥深くまで引き入れてくれたすべての人々に感謝します。

と、アリヨ氏は受賞の挨拶を感謝の言葉で締めくくった。


 ”黒人音楽”であるブルースの殿堂入りをすることに、当初は戸惑いのようなものを感じていた、と言うアリヨ氏。「ブルース&ソウル・レコーズ」(2017年12/25発売号)に寄せた手記で、彼は揺れる想いを赤裸々に記している。


「1983年の夏のシカゴでは、Sunnyland SlimやPinetop Perkins、Detroit Jr.、Jimmy Walkerら、レコードでしか知らなかったピアニスト達が健在だった。言葉が通じず、路上生活者に語りかけては英語を覚え、初めて飛び入りさせてもらってそのまま雇われたバンドには、Eddie TaylorやHubert Sumlinがいた。Louis Myersに誘われたThe Acesとの演奏をきっかけに、Jimmy Rogersに連れられ、全米・カナダを大型バンでツアーした。テキサスでは遊びにきていたStevie Ray Vaughanが私の真後ろで弾いていたし、バンクーバーから真冬のロッキー越えをしながら78時間掛けてシカゴへ戻った。しかし、85年のRobert Jr. Lockwoodとの日本公演、Valerie WellingtonバンドでのAllligatorレーベル録音•TVコマーシャル出演などを経てもなお、まだどこかで「異邦人がブルースの本場で黒人音楽に関わる相克」を抱えたままだった。その名残が、黒人でもアメリカ人でさえもない私の「シカゴ・ブルースの殿堂」入りに対して、妙な気分を覚えさせたのかもしれない。

「2001年に再渡米。・・(中略)・・有名レーベルを始めとする録音参加は増え、スケジュールが合えば、南米やヨーロッパ、中国などからの個人名義での招聘に応じるし、若いミュージシャンへの指導も積極的になり、かつての「日本人なのに」「日本人だけど」といった自意識はすっかり薄まっていった。それでもビリーの“Blues in the School”で、私の受け持つクラスの全員がアフリカ系の生徒だったりすると、「アジア人から黒人文化であるブルースを教わることを、この子達はどう感じているのだろうか」と、今回のような要らぬ気遣いをしてしまう。それはブルース文化への深い憧憬の裏返しかもしれない。


 文化や芸術を受け継ぐのは、何もその国の人間である必要はない。しかしながら、そこには「見えない壁」や「超えられない壁」があるのも事実だ。それでも良きものは永遠に人々を魅了し、壁を突き破ろうとする”パッション”を与えてくれる。アジア人から黒人文化を教わり、黒人から日本文化を教わる。これもまた、お互いの芸に対する深い憧憬があればこそ。アリヨ氏の受賞は、それを改めて私たちに教えてくれたのかもしれない。




※この記事は、2017年10月15日にシカゴ市内で行われた「シカゴブルースの殿堂」取材に基づき、2018年3月に記述したものです。



■有吉須美人氏 プロフィール

ARIYOの名前で知られる、ブルースの本場シカゴ在住のブルース・ピアニスト。京都市出身。3歳よりクラシックピアノを始め、16歳のときにブルースを知る。

1983年渡米、Jimmy Rogers Blues Band に加入。全米、カナダをツアー。

1985年、Robert Jr. Lockwood日本公演に参加。(P-VINEよりCD化)

1986年、Valerie Wellington Band に移籍。翌年、「シカゴ・ブルース・フェスティバル」に東洋人として初めて出演。

1988年、Otis Rush ヨーロッパ公演参加後帰国。日本ではソロ活動や自己名義のバンド、Ariyo's Shuffle を率いるかたわら、憂歌団、ウエストロード・ブルース・バンド、近藤房之助、上田正樹、甲本ヒロトらとセ

ッション。

2000年、再渡米。Billy Branch & the Sons of Bluesに加入。

「シカゴ・ブルース・フェスティバル」(2003年、2007年)

「シカゴ・ジャズ・フェスティバル」(2005年)にソロ出演。近年ではAlligator, Delmark などのメジャー・ブルースレーベルからスタジオセッションに呼ばれることも増え、日本を含めブラジルやスペイン、中国など、単独での海外公演も多い。

代表アルバム:'PIANO BLUE' (P-VINE)

関連リンク:http://www.bluesblastmagazine.com/issue-10-44-november-10-2016/



(右)2016~2018年にレコーディング参加したCD。ビリーの他、マッド・モーガンフィールド(マディー・ウォーターズの息子)、ジミー・バーンズ、Shoji Naito(同じくシカゴで活躍する日本人ブルースマンの 内藤昌士 氏)、ロブ・ストーンなどとの録音に参加。


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