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  • 執筆者の写真Chicago Samurai

「ぺルソナ・ノン・グラータ」杉原千畝の映画上映イベント、イリノイ・ホロコースト博物館で開催。


杉原千畝 https://ja.wikipedia.org/wiki/杉原千畝

第二次世界対戦中、「命のビザ」を独断で発給し、6千人ものユダヤ人を救った外交官杉原千畝の映画「ペルソナ・ノン・グラータ」(日本語タイトル「杉原千畝 スギハラチウネ」)の上映イベントが、7月31日イリノイ州スコーキーのイリノイ・ホロコースト博物館で開催された。イスラエル、リトアニア、日本の3国の総領事館が協賛してのイベント開催は初めてのこと。くしくも、この日は杉原千畝が亡くなって33年目の命日だった。


イリノイ・ホロコースト博物館 Illinoi Holocaust Museum and Education Center

 イベントの開催地であるイリノイ・ホロコースト博物館は、ワシントンD.C.とイスラエルにある記念館とともに世界三大ホロコースト博物館と言われる。戦争前のユダヤ人の文化や生活の紹介から戦時中のナチスによるユダヤ人の迫害の歴史を時系列に写真や所持品等の資料で展示しているほか、13人のホロコースト生存者たちの話が聞くことのできる世界初の3Dホログラムによる展示もある。https://www.ilholocaustmuseum.org/tas/

(左)男性のユダヤ人の身分証明書 (右)ユダヤ人の身分証明書の最初の表紙に大きな赤い「J」のスタンプが押されている。


 博物館の建物の横には、アーチ型の壁と噴水が設置され、壁の表と裏両方にシルバーのプレートが貼ってあり、危険をかえりみずユダヤ人を助けた勇気ある「諸国民の中の正義の」人々の名前と国籍が各プレートに刻まれている。杉原千畝の名前のプレートも建物サイドから向かって右から4番目にあり、ユダヤ難民の最終目的国をオランダ領のキュラソー島とし、日本での通過ビザを提案したオランダ領事代理ヤン・ツバルテンディク氏の名前も隣に見える。


博物館前の「正義の噴水」とホロコーストからユダヤ人を救った勇気ある「諸国民の中の正義の人」たちの一人一人の名前と国籍の入ったプレート群。この壁の表と裏両方にプレートが貼られている。

杉原千畝 命のビザ

1939年8月28日、杉原千畝はリトアニアの首都のカウナス領事代理として外交官の任務に就いた。その直後、9月1日ドイツのポーランド侵攻をきっかけに第二次世界大戦が勃発した。同時にナチスによるユダヤ人迫害と虐殺が始まり、1940年7月多くのユダヤ難民たちがヨーロッパから脱出するビザを求めて、カウナスの日本領事館に集まってきた。杉原千畝は自分に降りかかるかもしれない危険も省みず、外務省の命令に背いて、リトアニアのソ連侵攻で領事館が閉まるまでの1ヶ月間で、2039通もの命のビザをユダヤ人に出し続けた。

 千畝の妻の幸子がその時のことを回想して、「もし、ユダヤ人がカウナスにくるのが、もう少し遅れていたら、日本領事館は閉鎖されていました。それだけに、リトアニアでのこの1ヶ月間のできごとは、時と所と人間がひとつになってつくりだされた奇跡的な幸運だったのです。(わたしたちは、こういうことをするために、神さまにつかわされたのではないかしら・・・・・・)」と著作に記している。(p 101–102 『杉原千畝物語 命のビザをありがとう』杉原幸子・杉原弘樹著 フォア文庫2003年6月発行)杉原夫婦はロシア正教の信徒だった。

館内の展示には杉原千畝のコーナーもあり、発給された実際のビザやビザのリストが展示されている。(左)杉原の発給した通過ビザ (右)杉原千畝コーナー 杉原が発給したビザ、ビザのリストの一部、外務省からの文書など



二人のサバイバー

 冒頭の挨拶で伊藤直樹在シカゴ日本国総領事は、「人種や歴史に関係なく、今後は日本人、日系アメリカ人もユダヤ系アメリカ人、リトアニア系アメリカ人、アメリカ人もコミュニティと世界の平和と協調の構築にお互い手を取り合って貢献できるよう努力していこう」と呼びかけた。さらに、去年11月イスラエル政府が主催したシカゴトンプソン・センターでの展覧会に続いて、今年3月に東京の八重洲に設立された「杉原千畝 Sempo Museum」でも同様の特別展(「ホロコーストと正義の外交官」)が7月31日より開催されていることも紹介した。


シカゴ・マーカンタイル取引所名誉会長のレオ・メラメド氏(左)とイリノイ・ホロコースト博物館館長のサミュエル・ハリス氏(右)


 上映に先立って、杉原ビザとホロコーストからのサバイバーによるトーク・セッションがあり、まずは杉原ビザサバイバーであるシカゴ・マーカンタイル取引所名誉会長のレオ・メラメド氏が登壇した。1939年当時7歳だったメラメド氏が、家族とともにナチスから逃れるためポーランドの生まれ故郷ビアウィストクから杉原ビザを得て、シベリア経由で日本の駿河を経てアメリカへと生き延びた2年に渡る決死の体験談を語った。第二次世界大戦中、ナチスに600万ものユダヤ人、そして自身の祖母2人と叔母を虐殺されたことも声を震わせながら訴えた。メラメド氏の壮絶な体験談は、第二次世界大戦のきっかけとなった1939年9月ナチスのポーランド侵攻の克明な様子を証言する貴重な機会ともなった。


 もう1人の登壇者は、ホロコーストからの最も若い生還者の1人であるイリノイ・ホロコースト博物館館長のサミュエル・ハリス氏。ハリス氏は、これまでシカゴ日本総領事館とこの博物館はお互いにいい関係を築いてきたと前置きし、日本総領事館と協力して、日本政府から入手した杉原ビザを発行された人々の名前のリストをスライドで紹介した。

 妻のディディ氏とイリノイ・ホロコースト博物館の理事であるリック・ソロモン氏とともに東京の外務省を訪れ、杉原ビザ発給者のリストを見せてもらったときの生涯忘れられないという写真も紹介した。ソロモン氏がそのリストの中に父バーナードの名前を見つけた時の驚きと喜びの表情の写真が印象深い。

(上左) ビザリストから 父親の名前を見つけたソロモン氏

(上右) 博物館の杉原千畝コーナーのビザリスト299番目にソロモン氏の父バーナードと27番目に叔父アブラムの名前がある。

(下左) 後列左端ソロモン氏の父バーナードの写真

(下右) ハリス氏たちが外務省から入手した杉原ビザリスト



 後にメラメド氏が父に当時なぜ逃げたのかを聞いた時、「自分の本能に基づいて行動することが正しいのだ」と答えたという。「人間の直感で行動することが正しいということが、杉原千畝が1940年リトアニアのカウナス領事代理としてとった行動で証明している」とメラメド氏は強調した。さらにこんな貴重なエピソードも紹介してくれた。40年後に友人となった杉原千畝の長男弘樹氏が、当時を回想して千畝が「彼らに生きるチャンスを与えることが正しいことだと本能で感じている」と言ったという。外務省の命令に背いた千畝の本能的な行動が結果として6千人ものユダヤ人を助けたのだ。

「タルムード(ユダヤ教の教本)によると、1人の人間の命を救うことは全世界を救うことになる。杉原は6千人もの人間を救ったのだ」と、ハリス氏は映画『シンドラーのリスト』にも出てくる有名な名言を引用した。実際に発給された杉原ビザはこのリストにある2039通以上だと言われ、助かったユダヤ人の子孫も含むと、救われた尊い命は4万人とも言われる。メラメド氏も講演の途中で自分の子供たちや孫たちを含む家族を紹介しながら、「自分の家族がここにいるのは杉原千畝のおかげである」と深い感謝の意を表した。


 2人の講演の後に、日本映画「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」が上映された。ユダヤ人の父と第二次大戦中収容所に入れられた日系アメリカ人の母を持つチェリン・グラック監督がメガフォンをとり、唐沢寿明主演でほぼ全編をポーランドで撮影された2015年の話題作である。日本人、ポーランド人ともに豪華キャストとスタッフとで彩られ、杉原千畝の激動の半生とともに、当時の緊迫な状況と人間模様が見事に映像で表現されていた。


 杉原千畝は、1969年にイスラエルに招待され、ビザを発給したバルハフティック宗教大臣と再会し、勲章を授与され、1985年にはイスラエル政府から「ヤド・パシェム(諸国民の正義の人)賞」を授与された。1986年に杉原千畝は亡くなったが、その後1992年やっと日本政府が杉原千畝の功績を正式に認め、2000年に外務大臣が表彰した。同年、生まれ故郷の岐阜の加茂郡八百津町に「杉原千畝記念館」が建てられた。リトアニアの現在の首都ビリニュスやイスラエルのテルアビブには、「スギハラ通り」と名づけられた道がある。 

 2時間強の映画上映の後、2回ほど大きな拍手が湧き起こり、杉原千畝の偉大な功績を称え、その結果世界中にいる杉原ビザサバイバーであるユダヤ人の繁栄があることに対して、深い感謝の意を表した。


 映画を観るまで杉原千畝のことを知らなかったというベス・アレンさん(シカゴ郊外在住)は、「自分の名声や立場が危うくなるのに、杉原が勇気ある行動を起こしたことにとても心を揺り動かされた。政府の命令ではなく、自分の良心に耳を傾けて行動したことに勇気をもらった。日本人は、戦争の時代に光を与えた驚くべき人物がいたことを誇りに持つべきだ。ユダヤ人も彼の輝かしい功績を語り継いでいくでしょう」としみじみ語った。


「世界史上徹底した人道主義を貫き、精魂かけた杉原千畝の記憶とメッセージを私は生涯をかけて次世代に伝えていかなければならない。すべての人が自ら世界を変えていく力を持っているのだ」

とメラメド氏は、講演の最後に力強く締めくくった。


 


(文責・写真 / 馬場邦子 Text and Photo/ Kuniko Baba)



■P E R S O N A N O N G R A T A :The Story of Chiune Sugihara

ABOUT THE FILM:

Chiune Sugihara is a Japanese diplomat posted in Lithuania. In Lithuania he and his partner, Pesh, gather intelligence on European affairs. As WWII begins and Germany invades Poland, hordes of Jewish refugees flee to Lithuania. In search of transit visas, they turn to Sugihara who is torn between his loyalty to his country and his loyalty to mankind.

"It is said that true heroes are born when ordinary people encounter extraordinary events. I believe the life of Sugihara truly embodies this principle. "

- Cellin Gluck, Director



■イリノイホロコースト博物館&教育センター

Illinoi Holocaust Museum and Education Center

9603 Woods Drive, Skokie, IL


■杉原千畝 Sempo Museum : http://sempomuseum.com/

「ホロコーストと正義の外交官 特別展」(NPO杉原千畝命のビザ・駐日イスラエル大使館主催)は9月1日まで


■杉原千畝記念館: http://www.sugihara-museum.jp/


NPO 杉原千畝命のビザ: http://www.chiune-sugihara.jp/jp/

引用: 『杉原千畝物語 命のビザをありがとう』杉原幸子・杉原弘樹著 フォア文庫2003年6月発行

参照: 『命のビザ 杉原千畝』石崎洋司著 講談社 火の鳥伝記文庫 15 2018年7月20日発行


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