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  • 執筆者の写真Chicago Samurai

10周年を迎えた、シカゴ寄席。柳家さん喬 ・林家正蔵「二人会」に学ぶ日本語の妙。

更新日:2018年8月12日

第10回「シカゴ寄席」にて。柳家さん喬師匠 

  落語界の名門、柳家一門を担う人気噺家の柳家さん喬師匠と、「こぶ平」の前座名で親しまれバラエティー番組や司会などでも人気の実力派、9代目林家正蔵師匠のおふたりによる「シカゴ寄席」が、7月16日、パラタイン市のハーパーカレッジ内シアターで開催された。去年よりさらに大きくなった会場につめかけた観客は約300人。平日の夕方にしてこの人数は驚異的だ。今回初めてこの寄席に足を運んだ人も昨年よりもはるかに多く、この贅沢極まりない落語会の人気の高さを物語る。

 さん喬師匠は、2006年から毎年7月にバーモント州ミドルベリー大学の夏期日本語学校に招待され、日本語を学ぶ学生に落語を通して日本語と日本文化を紹介する活動を続けている。その1週間のプログラム終了後、毎年シカゴで独演会を開いており、今年ついに記念すべき10周年を迎えた。


「最初は、小さな会場でお客さんは40人ほどでした」と、さん喬師匠は振り返る。2年前から正蔵師匠を新たに迎えて、「二人会」に。全く違うタイプのおふたりの噺をたっぷりと聞ける稀有な落語会になった。



開演前。 当寄席名物「助六弁当」 が配られる。今年はお茶子さん(上方落語ではおなじみの、高座を整える女性)も登場。



 まずは、本格古典落語の第一人者として知られる さん喬師匠の『刻(とき)そば』から開幕。落語の”いろはのい”とも言われる古典噺をまず「座がために」(さん喬師匠)選んだ。屋台のそば屋と客のかけひき、そばをすする音や動作が郷愁をそそる。さっき食べたばかりなのに、もうおなかがすいてきた。


柳家さん喬師匠(左)と林家正蔵師匠(右)


 続く正蔵師匠は、人情噺『一文笛(いちもんぶえ)』。

大きな仕事を終えて自慢たらたらのスリの秀。しかし、長屋の貧乏な子供のためにと盗んでやった一文笛のせいでその子を死の淵まで追いやってしまう。それを知って自分の右指二本を切り落とし「最後の仕事」をして堅気に戻る決意をするのだが・・。過去2回の二人会では軽妙で爆笑をさそう噺を選んでいた正蔵師匠、初の人情噺に場内が引き寄せられる。


年々和服姿のお客さまが増えていく。正蔵師匠も「和服姿の方を見るととてもうれしい」

 中入りを挟んで正蔵師匠の二席目は、上方落語の『新聞記事』。新聞も読まないおっちょこちょいの八五郎は、自分がからかわれた落とし噺をネタに、方々に出かけては聞かせるのだが、どんどんと話がおかしくなっていく。笑いにすっかり”慣れた”観客は笑ったそばからまた大笑い。


 〆めは、さん喬師匠の『掛け取り』。掛け取りとは、借金やツケを取り立てる集金人のこと。大みそかに やってくる掛け取りを何とか追い払おうと、熊さんは相手の好きな芸で言い訳してケムにまいてしまおうと作戦を立てる。狂歌、芝居、浄瑠璃、歌舞伎、最後は三河漫才で応酬し、見事に大みそかを乗り切るという軽妙な噺だ。

 話の面白さはもちろんだが、義太夫、歌舞伎の所作、三河漫才独特のリズムなどすべての芸に熟練していなければ演じることができない.、真打にしかできない大作。10年の節目にこの演目を選んでくれた、さん喬師匠の心意気に思わずぐっときた。

 

 年齢も、噺家としてのキャラクターも全く違うおふたりの、それぞれの個性が光った話芸を堪能したあっという間の3時間。日本でもこのおふたりをここまでじっくり聞くことはできない。これぞ贅沢の極みというものだ。

 今回この寄席に初めて足を運んだという内藤ともみさんは、日本通のアメリカ人のご主人と一緒に参加。「彼は終始大笑いしていました。落語の笑いはわかるそうでとても楽しんでいました。来年もぜひ来たい」と話してくれた。

 紆余曲折を乗り越えながら10年間この寄席を開催し続けた主催者のMスクエアさまには、シカゴの観客のひとりとして心から感謝したい。来年も!


終演後張り出された、本日の演目。文字も絵もすべてさん喬師匠の手によるもの。


柳家さん喬師匠、林家正蔵師匠インタビュー (※敬称略) ― 正蔵師匠はシカゴ訪問3回目ですが、今回落語以外で一番楽しみにされていたことはなんですか?

正蔵:去年初めてミュージカルを見に行ったんですけど、今年も(明日)ミュージカルに行くんでそれが楽しみです。


― 客席の様子や反応を高座からご覧になっていかがでしたか?

正蔵:実はそんなに明るくなかったんですよ。なのでみなさんのお顔まではよく見えませんでした。でもやはり和服姿の方がいらっしゃるのはうれしいですね。


― 今日は少しだけ英語の小噺を披露されましたが、今後英語で落語をするご予定は?

正蔵:いやぁ・・(照れ笑い)、楽しかったです。機会があれば英語を勉強してやってみたいですね。


― さん喬師匠の(一席目の)『刻そば』は少し意外でした。こちらを選ばれた理由は?

さん喬:今日は皆様方に日本への郷愁を感じていただけるよう、二席ともなじみ深いお話をしようと思って選びました。『刻そば』という話は、座がため”にはいい話なんです。最初は笑うところはなく、後半になって笑っていただけますので。お客様が落語を聞こうかなっていう体制を次に出てくる人のためにつくってあげなきゃいけない、それが最初にやる人の役目なんです。それは寄席でもどこでもそうなんです。ただ(二席目の)『掛け取り』のほうは、しゃべっていて日本の文化っていうものがみなさまの身近にないんだなとふと感じましたね。


― たとえばどんなところでしょうか?

さん喬:たとえば「ベン~~♪」(義太夫まわしの場面での三味線の音)と言うだけで東京のお客様は笑うんですよ。ところがこの「ベン~」で笑いがこない。そうか、これがまだお分かりにならないからこの話はダメだな、と反省しましたね。


 むしろそういうふうにわからないところがあることがいいのではないでしょうか。

さん喬:そうですね。こちらの方々にもいつかはわかる。わかった時に本当に面白いと思っていただける。いつか本当の義太夫を聞いたときに「あんときの”ベン~”ってあれかぁ」ってわかってくださればありがたいですね。若い方にはわかりにくかったかもしれませんが、これが落語なんだよって。

正蔵:お子様が笑ってましたね。

さん喬:そうそう、『掛け取り』でもお子様がケラケラ笑っていて不思議だなぁと思いました。


『掛け取り』ではいろいろな芸が出てきて師匠の真骨頂でしたね。師匠の関西弁も初めて聞きました(笑)

さん喬:あそこに出てくる関西弁は、江戸に長い間いる関西人ですからあえて関西弁らしくしゃべることはないんですけれども。


― 今日はいつもの人情噺はありませんでしたね。

さん喬:正蔵師匠がやられましたから。それは避けるべきなんですよ。


― 「シカゴ寄席」10周年を振り返っていかがですか?

さん喬:最初は本当に「え?こんなところでやるの?」っていうような小さな会場で40人ほどのお客様でした。それでも皆様に喜んでいただいて。それが今は300人近い方が来てくださる。東京でも落語会でこれだけの人を集めるのは大変なことです。ましてやシカゴで来て下さるなんてすごいことですよ。継続は力なり、ですね。今日初めていらっしゃったお客様もまた来てくださるとうれしいです。1年に1回くらいだと”笑い方”を忘れちゃうんですよ。ですから本当は年に最低でも2回くらいやるともっと落語のなかにはいってこられるとは思います。

 昨年、文化庁の文化交流使でアメリカとカナダをまわったとき、若い日系3世の方が「落語は自分たちの誇りである。今日の落語を聞いて私は日本人でいることを誇りに思います」っておっしゃってくださいました。言葉が頭ではなく心に触れてくる、それが大切なことなんだなぁと改めて感じました。


― 外国で日本語を学んでいる方へのアドバイスをお願いします。

さん喬:日本語は非常に感情を移入する言葉だと思います。たとえば「ばか」ということばでも「バカ野郎」「馬鹿だなぁ」「ばかみたい」「バカにすんなよ」と愛情がずいぶん違う。こういう言葉が日本語には大変多いんです。そのことを学ぶと言葉が楽しくなっていく。要は感情で日本語をどのように使い切ることができるか、ということだと思います。

 ところで、ミドルベリー大学の日本語コースを卒業なさったアメリカの女性が今度私のところに1か月間来るんですよ。落語の前座修行を「人類学」として卒業論文に書きたいと。修行としてわかってもらわないといけないので、それは”面白い体験”であってはいけないんです。つらい、こんなことまでやらされるんだ、みたいなところまでやらないと学問的な内容に入り込めないと思うんですよ。困ったなぁ(笑)。




(取材・文・撮影/長野尚子  Text・Photo/Shoko Nagano)




■柳家さん喬師匠 プロフィール

墨田区本所出身の落語家。1967年5代目柳家小さんに入門。1972年二つ目昇進し、「さん喬」と改名。1981年真打昇進。本格古典落語の名手としてとして名高い実力派であり、第一人者。 特に人情噺は秀逸で、「子別れ」「芝浜」「柳田格之進」「文七元結」等を得意とするが、滑稽噺や「中村忠蔵」などの芝居噺でもその芸域の広さと力量を発揮し高い評価を受けている。高座の姿が大変美しく、先代の小さん一門の流れを受け継いだとても行儀のいい芸風で、また一瞬にして観客を話に引き込む力は随一の定評がある。寄席を大変大切にしており、寄席での出演回数は年間を通して一番多い落語家の一人。東京を中心に全国各地で開催される独演会は常に満員である。 2006年より、落語と小噺を通じた日本語教育活動を海外で行っている。回った国は米国をはじめ、ハンガリー、フランス、ベルギー、シンガポール、韓国の6か国。米国では、2006年から毎年7月にバーモント州ミドルベリー大学の夏期日本語学校に招かれ、日本語を学習する学生と一緒に生活しながら、落語を通して日本文化や日本語を紹介する活動を続けている。国立演芸場金賞受賞、文化庁芸術祭賞、2014年芸術選奨の文部科学大臣賞受賞。2014年に落語家では初の国際交流基金賞を受賞。さらに2017年4月、「紫綬褒章」を受章。また、東北の被災地へ毎年訪れ、公演を通じて復興支援を続けている。弟子は10名を超え、後進の育成にも力を入れている。現在落語協会常任理事。

■林家正蔵師匠 プロフィール

1978年、父、林家三平に入門、前座名「こぶ平」。1981年、二つ目昇進。1987年、真打昇進。2005年、9代目「林家正蔵」を襲名。高座に姿を現すだけで場内を明るくできる、数少ない噺家の一人。祖父の7代目林家正蔵、父、林家三平と親子三代の真打は史上初。  噺家として古典落語に精力的に取り組むかたわら、マルチタレントとしての活動も多才。TVのバラエティ番組やドラマ、CM,舞台、ラジオなど、エンターテイメントの様々な分野で幅広く活動し、子供から大人まで幅広いファンを獲得。1980年以降は、映画の出演も増え、その延長でアニメの声優としても多数出演するなど活動の場を広げている。 第5回浅草芸能大賞新人賞受賞。第22回浅草芸能大賞奨励賞受賞。国立花形演芸大賞古典落語金賞。2015年「第70回『文化庁芸術最優秀賞受賞。2005年より、城西国際大学人文学部(その後、国際人文学部国際文化学科に改組)の客員教授を務めている。落語協会副会長。

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