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  • 執筆者の写真Chicago Samurai

日韓合作映画『風の色』シカゴプレミア上映。主演の古川雄輝さんに密着取材。

更新日:2020年2月19日

3月13日に幕を開けた「アジアン・ポップアップ・シネマ~シーズン6」。今回のオープニングを飾ったのは、韓国の巨匠、クァク・ジョエン監督によるオール日本人キャストの日韓合作映画『風の色』。東京と北海道を舞台に二組の男女が織りなすラブ・ファンタジー。ストーリー展開には「ドッペルゲンガー(世の中に存在すると言われる瓜二つの人間)」が重要な鍵となっている。


シカゴでのプレミア上映(日本では1月26日に封切り)にあたって主演の古川雄輝さんがシカゴ入り。上陸時間わずか36時間で、地元のテレビ局でのライブ出演や各メディアインタビュー、ファンとの交流など、超過密スケジュールをこなした古川さんに「シカゴ侍」も少しだけ時間をもらいお話をうかがった。(事前に当サイトのFacebookを通じて古川さんへの質問をお寄せいただいたみなさま、ありがとうございました。)


          上映後はファンひとりひとりと記念撮影&サイン会

           小さな規模の映画祭だからできる近さだ。

         ( Photo/Asian Pop-Up Cinema/Anna Munzesheimer )



Q:まだいらっしゃったばかりですが、シカゴの印象は?


シカゴは今回が初めてですが、思った以上に大都会だなという印象です。まだ昨日着いたばかりで今朝ちょっとだけ「ビーン」(シカゴの観光名所”クラウドゲイト”の別名)に行きました。僕はトロントやニューヨークや東京で住んでいましたので(大都会は)慣れているんですが、シカゴはまた別の意味で大都会ですね。


Q:日韓合作映画、それもクァク・ジョエン監督の映画に出ることについての感想と実際に監督とお仕事をされていかがでしたか?


これまでにも海外のお仕事はいくつかさせていただきましたが、クァク監督の映画で主演をやらせていただくのはうれしかったですね。彼の作品では『更年期的な彼女』を見ました。とても雨とか水が好きな方で、今回も実際に氷水とか水中での撮影がとても多かったので体に負担もかかり本当に大変でした。


Q:今回は今まで演じてきたラブコメディとはちがった、少しシリアスな役柄でしたが。


シリアスかどうかは国によって見方がだいぶ変わってくると思います。日本人から見たら恋愛映画でも、韓国やアメリカの方からみたらもっとコメディ要素は増すのかなと思います。韓国の監督が書き下ろしたものを日本語に訳しているので、全体を通して韓国映画に近い仕上がりだけれど、日本人が演じているという、その”ズレ”が生じているところがこの映画の特徴ではないかと思います。また、ストーリー自体がファンタジーで、そこにマジックやドッペルゲンガー、また”文化の違い”が入ったことによってよりファンタジー要素が加わってそれがいい味になっているんじゃないかなとも思います。それを監督が意図的に狙っているかどうかはわからないですけど。どうしても韓国要素が強い映画なので全体的に韓国映画っぽくなっています。


Q:その”文化の違い”ですが、同じアジアの国である韓国と日本の文化の違いを今回強く感じたことは?


細かい台本の演出や撮影の仕方に、微妙な違いがありました。監督にも「日本人の感覚から見た場合こうしたほうがいいですよ」という提案はいろいろさせていただきました。それは二つの国で住んだからこそ得られる感覚ですが、細かい部分は難しかったなと思います。たとえば「彼女を愛しています」というセリフがですが、日本人だと「彼女が好きです」とは言いますが「愛しています」はあんまり使わない。日常的会話に変えるべきだって監督に言いました。僕は基本的に全部台本の語尾を変えさせてもらったんですよ。(相手役の)藤井武美さんはほとんど変えていないので、ステージプレイ(舞台)みたいなセリフになっています。例えば「~じゃないかしら?」とか。

また、いわゆる”韓国映画、韓国人ワールド”なので心情を口にするシーンがすごく多いです。「日本の映画だとあまり口に出さないですよ」と言いましたが、監督は口で言ってほしいと。ほかにも「ちくしょう」というセリフがあったんですが、日本では今ほとんど言わないですよね。だからせめて「クソッ」にさせてくれ、とか。日本人のオーディエンスの感覚でわかるように変えてほしい、という提案はかなりしましたね。


Q:じゃぁ、監督ともかなり戦ったんですね?


かなり戦いました。脚本もけっこう僕が書き直しています。だってその感覚がわかるのは僕しかいないわけで。僕がやるしかない。


Q:外国映画に出るということは、そういうことも含めて役者としてコミュニケーション能力が必要ですね。


文化の差や考え方の差をいかに説明できるかというのが重要になってくると思います。例えばイギリスで舞台をやったときにあちらの演者さんが侍を演じていて、寝っころがった芝居をしたんです。「サムライって人前で寝っ転がったりしないよ」と説明したいんだけれど、なかなか伝わらないんですよね。武士の心みたいなものが彼らには感覚的にわからない。それを説得して座るような芝居をしてください、と言ったりとか。そういうのは2か国間で作品を作るうえで生じてくると思うし、そこはいい作品を作るうえでやはり戦っていかないといけない。今回の作品でもそれが結構大変だったなって思います。


※以下、読者から寄せられた質問

Q1:(7歳から カナダで8年間、高校から単身でNY、計11年間を海外で過ごした経験から) 日本とアメリカとの間で感じたカルチャーショックを教えてください。(女性/アメリカ)


日本に帰国した当時は日本語がすごくへたくそで、まず敬語がしゃべれなかったんです。上下関係がこっち(アメリカ)は厳しくないし。敬語を使ったり、さんづけをしたり、特にお辞儀をするというのがよくわからなかったんですね。それから遠慮をすること。1回遠慮してからいただくというシステム、これは日本人特有ですよね。先輩がアメを配っていたときぼくは欲しくなかったので「いらないです」って言ったら「先輩がくれてるんだからいらなくてもありがとうございます、っていって貰わなきゃいけないんだよ」って言われたときは本当にびっくりしました。こっちだったら“No, thank you”で済むんですけどそれじゃぁだめなんだ。そういう微妙な日本ならではのルールや暗黙の了解にカルチャーショックを受けました。それにアジャスト(適応)して完全に日本人化してからまたこっちに戻ってきたら、今度は逆に握手するのが慣れなかったりとか。特にジョークとかお笑いに関して、こっちはサーカズム(皮肉)やわかりずらい冗談の言い方をするので、言っていることはわかるけど今のは冗談だったんだろうか、とかわからなくなります。日本に帰ってからもう15年になるので、今はもう完全に日本人です。


Q2:慶応の理工学部出身というアカデミックなキャリアから芸能の道に転換するのに躊躇はなかったですか?(男性/アメリカ)


当時は躊躇はなかったです。僕はエージェンシーに入るためのオーディションを受けたんですが、そこで優勝することができなかったんです。負けたことが悔しくて、ここで辞めたら一生後悔すると思いやっぱりやろうと決めました。理工学部を出ていたからとか大学出ていたから、ということではなくて、ここで辞めたら後悔するからやろう、というただそれだけのことです。 


― 負けたからそう思ったのかそれとももともと芸の道に興味があったのか?


もともとやりたいことがなかったから、芝居に出合って衝撃を受けたんですよ。もしあそこで優勝していたら、またちがった仕事の入り方をしていたかもしれないですし。しなかったからこそ学べることも多かったんだと思います。特別に好きな役者や作品とかはありません。


Q:これからどんなキャリアを積んでいきたいですか?(女性/アメリカ在住日本人)


今、日本人の俳優さんで英語がネイティブにしゃべれる人はまだまだ少なく、海外で仕事ができる人はすごく限られていると思います。今後も日本以外の海外の仕事もいろいろできたらいいなと思っています。



上映前のひととき。







上映後はファンからの質問に流暢な英語で丁寧にユーモアを交えながら答える。

左はモデレーターのマーク・シリング氏(ジャパン・タイムズ映画評論家)





日本や中国、アメリカ他州からわざわざ駆け付けた熱烈なファンも。「劇中のヒゲは本物ですか?」「No!」に場内爆笑。( Photo/Asian Pop-Up Cinema/Anna Munzesheimer )


(以下、観客とのQ&A。すべて英語での受け答え)

『風の色』というタイトルはどこからきたのですか?

古川:実を言うと、クァク監督が北海道で愛飲していたお酒の名前なんです。それをタイトルにしたんです。風の色が私たちには見えないように、この映画にはマジックやドッペルゲンガーのように見えない、存在しないものが多く含まれています。それで、そういう意味合いでもタイトルにしたということでした。


映画の世界もグローバリゼーションが進んでいますが、これからの映画もこの作品のように多国共作が増えてくると思いますか?

古川:そうなると思います。ですが、この作品ほど”文化が混ざり合った”ものになるとは思いません。例えばこの映画の場合、日本の観客が理解できるように僕が脚本を修正しなければなりませんでした。この作業がこの映画では最も困難なことでした。現在、海外の映画に出演している日本人の役者さんはまだまだ少ないですから、これからもっと日本人の俳優が海外で仕事する機会が増えるといいなと思っています。


次のプロジェクトは?アメリカで見られますか?

古川:ネットフリックスで僕の名前とタイトル『Erased』(邦題:『僕だけがいない街』)を入れてみてください。まだ見られますよ。アメリカで見られるかどうかはわかりませんが、日本では今、主役ドラマを収録中です。その他にも今月、来月に2本の映画が始まります。


アーティストとして最も忘れられない経験は何ですか?

古川:忘れられないというより最も過酷だったのはこの映画ですね。水のシーンを撮ったあと本当に体を壊してしまいました。その他では、僕にとって海外での初仕事がイギリスの舞台だったのですが、日英両国のキャストで僕の役は通訳だったんです。そこで「英国なまり」の英語をしゃべらなければならなかったのが難しかったですね。僕の最初の海外での仕事だったので忘れられない経験です。


私の様な中国のファンが聞いてほしいことだと思いますが、今後舞台をやる予定はありますか?とても見たいです。

古川: 2年前に『The Cripple of Inishmaan』(イニシュマン島のビリー)という作品をやりましたが、多分、多分ですが、来年また舞台をすることになりそうです。あくまで多分ですよ(笑)。


(映画の中の)リュウとリョウ、どちらが好きですか?

古川:リュウかな。リョウは壊れちゃってるし、金も職もないし。リュウはスーパースターだしね。(場内爆笑)









上映終了後、ファンひとりひとりと自らボタンを押してセルフィータイム。





在シカゴ日本国領事館から 伊藤直樹 総領事(古川さん左)も会場にかけつけて鑑賞した。

( Photo/Asian Pop-Up Cinema/Anna Munzesheimer )


シカゴ観光局・文化ツーリズム部長のジェイソン・レニーウイックス氏とがっちり握手する古川さん。

右は映画祭の創業者、ソフィァ・ウォン・ボッチオ氏、 左はマイケル・アンソニー・フォスター氏 (ソフィアズ・チョイス・取締役副社長)

( Photo/Asian Pop-Up Cinema/Anna Munzesheimer )


◆古川 雄輝(ふるかわ・ゆうき)1987年12月18日、東京都生まれ。7歳でカナダに移住し、高校は単身NYへ。帰国後、慶応大学理工学部へ。システムデザイン工学科卒。09年の「ミスター慶応コンテスト」グランプリ。10年に新人俳優発掘オーディション「キャンパスターH★50withメンズノンノ」で審査員特別賞を受賞し、俳優デビュー。身長180センチ。


※署名以外の写真 (C)Shoko Nagano


オーディションで負けた悔しさが引き金となって、この世界に飛び込んだ。海外生活で培ったストレートな性格は、保守的な日本の、その中でも最もコンサバな芸能界では誤解や苦労も多かろうと察して余りあるが、海外で仕事をしていく上ではこれくらいの強さはむしろ持っていて損はない。作品のためなら巨匠ともやりあう根性も、Conflictを恐れない強さもある。入れ替わりの激しい競争の世界で、自分の立ち位置はどこなのか、どの方向で勝負すべきなのかを冷静に見極めている人なのだろう。 いつか世界で認められる俳優になる、そのために少しずつでもステップアップしていきたいと、以前メディアに語っていた。 20年後、50歳の古川雄輝はどうなっているだろうか。


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