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  • 執筆者の写真Chicago Samurai

「師弟」と「相棒」35年間のJazz Journey。ゲイリー・バートン&小曽根真@SPACE (2017年3月14日)

更新日:2018年7月24日

 



 初めてこのふたりの演奏を間近で見たのは、かれこれ30年ほど前のこと。あの時の衝撃は今も忘れない。Jazzのこともふたりのこともあまりよく知らず、ひとりぶらりと大阪のコンサートホールに足を運んだ私は、そのすさまじさにぶっ飛んだ。なんだかものすごいものを見てしまった、という興奮でまっすぐ家に帰れず、隣のホテルのBarで飲みながら“正気”に戻るのを待ったくらいだ。  当時、ゲイリー・バートンは40歳半ば。すでに3回のグラミー賞を受賞し、ヴィブラフォーンの第一人者として不動の地位を確立していた。一方、バークリー音大で彼の教え子だった小曽根真(当時20代)は、卒業後に米CBSと専属契約を結んで世間をあっと言わせた“日本ジャズ界の新鋭”。満を持しての凱旋公演ということもあって、若い彼のピアノは、夢と希望とアグレッシブな野望にあふれていた。生きる世界は全く違うけれど、この人を見ていると「私は何をやってるんだろう。このままで私の人生はいいのか?」という気持ちにさせられた。なりたかったもの、やりたかったことに蓋をしてだまって働いている人生なんてつまらない、と気づかされた。


 



シカゴジャズフェスティバルで、演奏するゲイリー・バートン(2014年8月30日)。彼は常に若い才能を見出し、インスパイアし続けてきた。


 それから、数年に1度のスローペースながらも折々に小曽根真のライブを見る機会に恵まれたが、そのたびごとに違った“フォーム”になっていて、彼が日本で何にもがき、どこに着地をしようとしているのかを計り知るのもまた楽しみだった。  彼がNYに移住し、トリオでの活動を本格化してしばらく経った2003年には、カリフォルニアのモントレー・ジャズフェスティバルで再びゲイリーとのデュオを聞いた。その頃の小曽根はトップジャズピアニストとしての名声を得ていたにもかかわらず、「クラシックに戻ってピアノを見つめ直す」という勇気ある決断をしたばかりだった。自宅のあったNYから往復約3時間かけて基礎をみっちり学んでいる、と熱く語る彼を、心の底から尊敬した。40歳を過ぎての再出発は、まさしく彼のモットーである『Never Too Late』(遅すぎることはない)を体現していた。

 さらに10年以上が経ち、気が付けば彼は国内外の主要オーケストラと演奏をするピアニストへと脱皮していた。東京交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、札幌交響楽団など日本各地のオーケストラはもちろん、ニューヨーク・フィルハーモニック、サンフランシスコ交響楽団などとの共演でも大きな成功を収め、さらに世界各地に活動の場を広げている。迷いの末に求めていたものをたぐりよせた自信が結実し、新たな「小曽根真」が作り出されていた。


「Virtuousity」

そして、2017年。師であり長年コンビを組んで演奏を続けてきたゲイリーも御年74歳となり、今年限りで第一線からの引退を決意。そのファイナルツアーの相棒に選んだのが愛弟子、小曽根真だった。

 3月1日のワシントンD.C.を皮切りに北米8都市で始まったツアー終盤にシカゴ公演があると知り、bittersweetな想いで当日を待ち望んだ。今、ふたりは私たちにどんな音を届けてくれるのだろう。

 3月14日、シカゴ「SPACE」での2回公演はどちらもソールドアウト。ファーストショウを観終えたばかりの男性客ふたりが、セカンドを待っていた私の隣に座るや興奮冷めやらず話しかけてきた。

「バーチュオシティ(virtuosity=名人芸)とはまさにこのこと!トラディショナルなジャズから、クラシックまで本当に幅広いレパートリーで、しかもその完成度とテクニックときたら素晴らしかったよ!来て本当によかった」




 超満員の会場はあふれんばかりの熱気。ゲイリーと小曽根の、ふたりきりの音のコミュニケーションが始まった。ジャズ、ラテン、ブルース、ホンキートンク、クラシックにバッハ(バロック)、ガーシュイン・・・ありとあらゆる音楽が紡ぎだされていく。ベテランふたりのぴったりと息のあった演奏を、一音も聞き逃すまいと息を呑んで聴き入る観客。ところどころで小曽根が関西人ならではの笑いのスパイスのきいたトークを入れ、会場がどっと沸く。緊張と緩和がほどよく調和する。

 ピアノ越しにゲイリーを見つめる小曽根の眼差しは、初めてのデュオのときに見た挑みかかっていくようなそれではなく、父を仰ぎ見るような優しい目。ゲイリーへの感謝、リスペクト、どんな音が来ようと拾い受け返していく懐の深さが、彼の演奏から伝わってくる。ここに至るまでのふたりの長い長い道のりを想いながら、名曲『Times Like These』(作曲:小曽根真)を目を閉じて聞いていたら、自然と涙があふれてきた。







演奏後にはガッツポーズが何度も






「ゲイリーは音楽の師であると同時に、人生の師。本当にいろいろな大切なことを教えてもらった」



 スタンディングオベイションでショウが終わった会場には、ふたりを待ちかまえる多くの熱心なファンの姿があった。ゲイリーの長年のファンだというある学生は、多分彼が生まれるずっと前に録音されたLPレコード『Gary Burton & Keith Jarrett』(1971)を持参し、サインの順番を待っていた。「ここで彼の現役最後の演奏を生で聴けた、それだけで満足です」と、顔を紅潮させながら。

クラシックとジャズと  「ゲイリーは筋金入りの完璧主義者。だから体力的にも自分の納得できる演奏ができなくなってきていることが彼に(引退を)決意させたんだと思う。僕の役目は、彼をしっかりサポートしながら最高の演奏をすること」と、小曽根は開演前に話してくれた。  一方のゲイリーに小曽根を最後のパートナーに選んだ理由を聞くと、「もう35年も一緒にやっているから、お互い知り尽くしているしね。何よりも安心だし心地良いんだよ。そう、ケミストリー(相性)だね」


 ここで、思い切って訊ねてみた。 「そのマコトは10年ほど前にいったんクラシックの世界に身を投じて修行をしましたが、その後彼の演奏に何か変化はありましたか?」と。ゲイリーはためらうこともなく、こう返してくれた。


いいや。彼は彼。何も変わっちゃいないよ。

 その答えを聞いて、なぜか胸がすっとした。彼らはそんなジャンルの壁などとうに通り越した「音楽家」なのだ。壁を作りたがる者ほど、己に確たる自信がないということなのだろう。  「でもそうはいっても、譜面に忠実であるべきクラシックとインプロ(即興)が見せ場のジャズという一見真逆のライブを同時にこなしていて、混乱しないのですか?」という野暮な質問に、小曽根は「全くないね」と、きっぱり。「あの尾高さん(尾高忠明氏:日本を代表するクラシック指揮者)がね、僕のピアノを聴いていつか一緒にやりたいと言ってくれていたそうなんです。それが実現したとき、「あなたの感じるまま(自由に)演ってください」と言ってくれたのが忘れられない」とも。  さらに彼はクラシックの奥深さについてこう語ってくれた。 「ベートーベンがガチガチの完璧主義者だとすると、モーツァルトは自由主義者。彼の楽曲にはインプロの空間があって、僕には『お前さんの好きなように自由に演れよ』と言う彼の声が聞こえる。第一、誰もモーツァルト自身から『こう弾かなきゃダメだよ』って言われたわけじゃないのに“こうだ”って決めてしまうほうがおかしいでしょ?でも、じゃぁ自由に演ろうとしてもやれることはものすごく限られている。だから、モーツァルトは“完璧”なんだよね」  モーツァルトはきっと小曽根さんみたいな人だったのかもしれませんね、そう言うと、「きっと性格が似ているんじゃないかな」

"I've never grown up."

 日本、アメリカ、ヨーロッパと世界中を飛び回って演奏活動を続けるその体力もさることながら、小曽根真という人はいつまでも古びない人だ。常に自分の中の何かを突き破ろうとしているからかも。  「小曽根さんは初めてお会いした時から全く変わらない若さですね」と言うと、「 I’ve never grown up.(ボク、大人にならないので)」と笑った。 30年前の“やんちゃ坊”小曽根真の笑顔がそこにあった。


※この記事は2017年3月に「US新聞ドットコム」のコラムに掲載された記事に加筆・修正したものです。



■ “SPACE” シカゴ北部エヴァンストンにあるレストラン兼ライブハウス。 ほぼ毎日、さまざまなジャンルの一流どころのライブが聴ける。レストラン&Barの雰囲気も良く、自家製窯で焼くピザは絶品。

1245 Chicago Avenue Evanston, IL 60202 Tel:847-492-8860 http://evanstonspace.com/

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