ブルースで街に活気を取り戻そうと、青森商工会議所青年部がブルースの本場、シカゴ市と交流を図りつつ2004年に始めた「Japan Blues Festival (以下“JBF”)」が、今年も7月25、26日の両日、それぞれ浪岡市の「道の駅なみおかアップルヒル」、及び青森市の「安潟・青い海公園」で行われた。
JBFの目玉は、毎回本場シカゴから迎える豪華ゲスト。過去に出演したゲストの中には、ボニー・リー、ジミー・ドーキンス、ケアリー・ベル、ウィリー・ケント、マジック・スリムなど、すでに鬼籍に入ったシカゴ・ブルース界の大御所の名がずらりと並び、JBFとシカゴ・ブルースとの長い歴史を物語る。その一方で、コアなブルースファンを対象とするのではなく、子供から大人までが一緒に楽しめる「市民祭り」であり続けた異色のブルース・フェスティバルなのだ。
また、公共の支援に頼らず一般企業からのスポンサー広告と会場内のフードチケット販売でコストをまかなう「無料」のフェスティバルであることも特徴(青森会場のみ)。そのこだわりが、12年間という長きにわたって市民に愛され、継続してこられた所以だ。
日本のファンに会いたくて
さて、12回目となった今年のJBFのゲストは、今シカゴで“最も熱い”と評されるギタリスト&ヴォーカリストのカルロス・ジョンソン。その彼が選び抜いた自らのバンドメンバーに加え、スペシャルゲストとしてシンガーのデミトリア・テイラーが紅一点で花を添えた。デミトリアは2011年の第9回JBFにも出演しその後全国ツアーも行っており、3年ぶりの来日。
カルロスの来日は、2009年のソロツアー以来5年ぶり。もともとコアなファンが多かった日本でその名を一気に知らしめたのは、2004年、脳梗塞で演奏が不可能になった伝説のブルース・ギタリスト、オーティス・ラッシュの来日公演にサポート・ギタリストとして参加したのがきっかけだった。(彼の使い込まれたギターには手書きのオーティスの名前が彫り込まれている。) カルロス自身も日本にはことさら思い入れが強く、「再来日の機会をずっと楽しみにしていた」(本人談)と、今回、自らの精鋭バンドを率いて日本のファンの前に戻ってきたことに高ぶる気持ちを抑えきれない様子。別のバンドのツアー先であるヨーロッパから単身来日したその晩(7/22)、さっそく原宿で行われていたShun(菊田俊介)とデミトリアのギグに飛び入り、満員のファンに熱いプレイを見舞った。東京でのギグは今回予定されていなかっただけに、この予想外の飛び入りは東京のファンを熱狂させた。
オーティス・ラッシュの名が彫り込まれたカルロスのギター
(Photo by Yasuo Ochiai)
最強の“チーム・カルロス”参上
■カルロス・ジョンソン・バンド(右から)
Bill “The Buddha” Dickens (ビル“ザ・仏陀”ディケンス):ベース
Piotr Swietoniowski (ピオトール・スィトニオスキー):キーボード
Carlos Johnson (カルロス・ジョンソン):ギター、ヴォーカル
Demetria Taylor (デミトリア・テイラー):ヴォーカル
Pooky Styx (プーキー・スティクス):ドラム
今回の来日メンバーのうち、ベースのビル・ディケンスとドラムのプーキー・スティクスは、カルロスが常日頃シカゴで共に演奏している“ザ・シリアス・ブルース・バンド”のメンバー。気心も良く知れた同胞だ。
その風貌から“仏陀”の異名をとるビル・ディケンスは、7弦のベースをまるでおもちゃのように操るスーパーベーシスト。アレサ・フランクリンのヒット曲『In Case You Forgot』も手掛けた作曲家であり、プロデューサーとしても知られた存在。近年、スティーヴィー・ワンダーやドクター・ジョンとも活動を共にしている。ブルースよりもむしろ、ソウル、R&B、Jazzといったジャンルでより活躍の場が多いベーシストだ。
プロとして35年のキャリアを誇るプーキー・スティクスは、今シカゴでは彼を見ない日はないというくらい売れっ子のドラマー。パワフルでありながら繊細、曲の機微を心得たドラミングは、ありとあらゆるミュージシャンから好まれ引く手あまただ。今回が記念すべき初来日となった。
今回、唯一シカゴ以外からの参加となったのが、キーボードのピオトール・スィトニオスキー(以下、ピーター)。カルロスがポーランドでギグをするときのハウスバンドのピアニストで、JBFのためにわざわざポーランドから呼び寄せられた秘蔵っ子だ。地元の人気ブルース・バンド“Hoodoo Band”のピアニストでもあり、アレンジャー、作曲家としても活躍している。シカゴのバンドメンバーと合わせるのは今回が初めて、それでいきなりフェスティバル本番を迎えようというのだから、いかにカルロスが彼の音を信頼しているかがうかがえる。同時に、シカゴにも来たことがない若い彼に海外経験を積ませてあげようというカルロスの痛いほどの親心を感じる。ピーターは当初、「It’s funny. からかわないでください」と、カルロスからの招きをすぐには信じなかったそうだが、「それが本当のオファーだと分かった時は夢のようにうれしかった」(ピーター)と目を輝かす。
7月25日、浪岡ステージでのデミトリアとカルロス
ゲストシンガーのデミトリア・テイラーは、伝説のブルースマン、エディー・テイラーの愛娘。母もシンガーというブルース一家で、子供の頃から家に出入りする名だたるブルースマンたちに囲まれて育った彼女がブルースシンガーになることは必然の流れだった。現在はデルマークレコードの専属アーティストで、2011年にリリースしたデビューアルバム『Bad Girl』は、2012年のブルース・ミュージック・アウォードの「ベスト・ニューアーティスト・デビュー」にノミネートされた。サラブレッドにして実力も兼ね備えた、注目のシンガー。カルロスは彼女が4歳のころから娘のようにかわいがってきたそうで、彼に「私をここに連れてきてくれてありがとう」と、何度もお礼を言うデミトリアの姿が印象的だった。
カルロスという、強く優しいボスのもとにがっちりとまとまったこのメンバーの結束はとても堅い。集合時間に決して遅れない。きちんとお礼を言う。勝手な個人行動をしない。頭の上からモノを言わない。そして最も大切なことは、みなユーモアセンスにあふれていて陽気で楽しい。カルロス自身が普段大切にしている行動規範が、メンバーひとりひとりに浸透しているのを感じた。
7月26日 青森・海のステージが燃えた
さて、満を持してのカルロス・バンドのステージ。前夜の浪岡(通称“山のステージ”)でも「りんごの里」をブルースで真っ赤に染めた彼らは、翌7月26日には青森市内の青い海公園(通称“海のステージ”)へと場所を移し、日本全国から集まった約8,000人の観客の前に立った。
開会セレモニー。鹿内青森市長にエマニュエル・シカゴ市長からの親書を手渡すカルロス(Phot by Hisao Dekasue Suzuki)
JBFではもはや常連となった関西の「Nacomiバンド」、JBF初参加の加藤エレナ(Key)&江口弘史(Bs)の最強グル―ブDuo、地元青森の「B.B.Heads」の演奏に続き、いよいよカルロス・バンドのステージが始まった。
今夜のカルロスは、神がかっていた。
自分の選んだ大切なバンドメンバーと一緒に、大好きな日本で、ファンの前で、5年ぶりにライブができる・・・積年の想いがかなったことが、一層彼を熱くさせていたのかもしれない。サウスポーから繰り広げられる渾身のギタープレイ。ピックも使わず、直接指から、全身から熱い鼓動がビンビンとギターに伝わる。
「彼女(ギター)は俺の体の一部。こいつが俺にちゃんとした暮らしと家を与えてくれ、世界中いろんなところに連れて行ってくれた。ピックなんて使わないさ。彼女を直接感じたいんだ」
カルロスと一体になったギターを見ながら、ふと彼の言葉を思い出していた。これほど熱いカルロスは久しぶり、いや初めて見たかもしれない。ブルースからソウル、R&B、Jazzまで、幅広い選曲を、1時間余りたっぷりと弾き、歌い、ステージを闊歩し、メンバーと見つめ合う。ドラムのプーキー、ベースのビル、ピアノのピーターがその想いに全身で応える。これほどのグルーブを出せるバンドはシカゴにもそうそう存在しない。熱狂的なカルロスファンはこれをずっと待っていたにちがいない。ステージのすぐ前で見ていた私のうしろで、ひとりの男性ファンが恍惚の表情でつぶやいた。
「カルロス、かっこえ~」
1曲目から、ステージ前には彼を待ち焦がれていたファンがかぶりつく。
ビル・ディケンスの5分以上にも及ぶベースソロに、会場は息をのむ。もはやベースじゃない、7弦の魔術。
ベースのビル、ピアノのピーターに絶えず目配せしながら、一曲一曲のアレンジや構成をその場で導いていたプーキーがこのバンドで果たす役割は
大きい。ムードメーカとしても大切な人。
決してテクニックをひけらかさず、音数は多すぎず少なすぎず、かつ的確なコードを的確なタイミングでおさえられる稀少なピアニスト、ピーター。ブルースだけでなくJazzやソウルなど幅広い曲を演奏するカルロス好みだ。
カルロスがたっぷり1時間余りのステージを見せた後、ゲストシンガー、デミトリアの出番。女性ヴォーカルの登場で観客のヴォルテージは一気に上がり、皆がステージ前ではねる、踊る。それを見て彼女もガンガンと観客をあおるように「うなり」を炸裂。「私には決められたセットリストなんてないの。その場でオーディエンスの反応を見て曲を決めるのよ。」
3年前とは全く違う。彼女自身も「年を重ねて自分のなかでも何かが大きく変わってよくなっている気がするの」と言っていたとおり、ひと回り成長した姿がそこにあった。3年ぶりに日本の地を踏み、渾身のステージを見せた彼女はこれを機にまた大きく変わっていくに違いない。
終盤にはShunも参戦。久々にシカゴのビッグ・ブラザー、カルロスと気持ちよさそうにギターバトルを繰り広げた。
男がホレる男。
このツアー中、カルロスは実によく笑い、よく怒った。最高の音を出すため、愛するメンバーのため、必死で戦う熱いボス、カルロスの姿がいつも現場にあった。
「久々に日本のファンの前で演奏したかったというオレの気持ちに、彼ら(メンバー)はついてくれたんだよ。“Moral Attachment”(精神面でのつながり)があるからさ。たとえただでもオレについてきてくれる、そんな奴らなんだ」カルロスはうれしそうに話してくれた。
「今回のパフォーマンス(3時間15分)は、オレのギグの中でも最長記録。それでもまだまだやっていたかった。1曲目からステージの真下で一生懸命見つめてくれるファンを見たらもう自分を止められなかったんだ。あれには鳥肌がたったよ。だからみんなの顔を目に焼き付けながら一人ひとりの目を見て歌ったんだ。ある女の子なんてボロボロ泣いていたよ」熱いライブを思い出しながら語る彼の瞳はうるんでいた。
チャーミングで涙もろく、正義感が強く時には頑固な愛すべきボス。これがカルロス・ジョンソンなのだ。
カーテンコール。(左から)ピーター、プーキー、加藤エレナ、Shun、デミトリア、カルロス、ビル、江口弘史
ライブ後のCDサイン会で、ファンから偉大なブルースマンである父、エディー・テイラーのLPを手渡されて大感激のデミトリア。「日本のファンは最高!」
日本流の“おもてなし”にもすっかり心を奪われた様子。
打ち上げ会場でのスリーショット。大役を終え大好きな人たちに囲まれてうれしさを爆発させるピーター。いつも周囲に気を遣い礼儀正しく、謙虚でクールな人。毎晩のようにボス(カルロス)と飲みに行っていた隠れた酒豪。
JBFがもたらした価値
「ねぶた祭り」間近の青森に、今年も熱い“ブルース魂”を注入してくれたJBF。数か月も前から準備を進め、このイベントを企画・運営した青森商工会議所青年部、ミュージシャンからの無理難題にも懸命に応えて奔走した音響機材会社の方々、シカゴでミュージシャンとの交渉・契約などすべてをとりしきったJBF創設メンバー山中泉氏、そして参加したすべてのミュージシャンの想いが見事にひとつになった。
この成功はひとえに、JBFが単なる営利目的の音楽イベントではないことが要因。青森市街の活性化、市民のための祭りとして始まり、今では全国各地からうわさを聞きつけた熱心なファンが訪れるようになったことで「夏の観光地」としての青森をも大いにアピール、経済の活性化に大いに貢献している。また、東京やシカゴに行かねば見ることのできない“本物”を見る機会を地元(特に子供たち)に与え続けた意味は大きい。苦節12年、JBFはお金では割り出せない膨大な価値を確実に提供してきたといえるだろう。
さらに、今年のJBFでは新たにシカゴ観光局が会場に特別ブースを設置、シカゴの魅力を来場者にアピールした。「毎年シカゴから素晴らしいミュージシャンを迎えるこの機会を利用して、もっと知られざるシカゴの魅力を伝えていきたいですね」と、シカゴ観光局・メディア&PR ディレクター薄井智恵さん。近い将来、JBFとシカゴ観光局とのタイアップが実現する可能性もあり、そうなれば双方ともにメリットは大きい。また、この“ブルース交流”によってシカゴのブルースフェスティバルに青森出身のブルースミュージシャンが出演する日が来るかもしれない。
会場のブースには期間中大勢の人たちが訪れた。
近年、様々なメディアにも取り上げられ注目度が増しているJBF。今後のさらなる継続・発展を、“Blues Buddy(ブルースの相棒)”、シカゴから応援し続けたい。
さぁ、来年の出演は誰?シカゴでは早くも来年の青森行の切符争奪バトルが始まっている(かも)。
※2014年にUS新聞ドットコムに掲載された記事に修正を加えたものです。
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